ファシズムの心理学 ~権威に従うということ~ 第1編

社会心理学

ある、一人の男の話をしましょう。

ナチス・ドイツ時代のアイヒマン

その男の名前は、アドルフ・アイヒマン。
旧ナチス・ドイツの親衛隊将校(警察官僚)で、最終階級は親衛隊中佐でした。
この人がナチス・ドイツで何をしていたかといいますと、いわゆるナチスのホロコースト政策の中で、数百万人のユダヤ人達を
「この収容所には○万人、その収容所には○万人……。」
と振り分ける仕事をしていた人なんです。

この人は本来ならばドイツにおける戦犯裁判であったニュルンベルク裁判の被告になるべき人でしたが、捕虜収容所から脱出し、逃亡していました。
そして、アルゼンチンに逃げていたところを、モサドというイスラエルの諜報機関がとっ捕まえてきまして、1裁判にかけました。これが、今回の記事の題材の一つの、アイヒマン裁判です。

そして、エルサレムで裁判にかけられたアイヒマンや ニュルンベルク裁判 の被告の多くは、「自分はヒトラーやその他の上司の命令に従っただけだ」と言い、無罪を主張しました。

しかし、皆さんは例え上司に人を殺せと言われたからといって、人を殺しますか?

結論から言うと、多くの人は躊躇いながらも、殺してしまうのです。

この記事では、その様な行動を取ってしまう人間の心理、及びどうすればそうなることを防げるかなどを論じます。

エルサレムのアイヒマン

1961年4月11日、イスラエルのエルサレムで アドルフ・アイヒマンの裁判が始まりました。

しかし、その裁判を傍聴していた人達は疑問に思います。

何故か。

人類史上最悪の大量虐殺に加担したような人間ですから、極悪人のはずです。

1961年、エルサレムで裁判中のアイヒマン

しかし、裁判を受ける彼はごく普通のどこにでもいる一市民だったからです。

彼が裁判で行った主張を要約すると、以下の様になります。

  • 私が仕事を辞めても、他の人が代わりに仕事をするだけなので同じだった。悪いのはナチス指導部だけだ。
  • 私にはユダヤ人を憎むような感情はない。2「我が闘争」を読んだこともない。
  • 「良心の呵責はないのか?」→「私は義務を果たしただけだ。」

アイヒマンの裁判を欠かさず傍聴したハンナ・アーレントと言うユダヤ人の政治哲学者が、 「エルサレムのアイヒマン──悪の陳腐さについての報告」という裁判記録及び考察を出版しています。

この中でアーレントは以下の様なことを主張しています。

  • アドルフ・アイヒマンは普通の人(稀代の極悪人などではない)
  • 「思考停止」(官僚組織の歯車)こそが悪→悪の陳腐さ
  • (ユダヤ人への愛はないのかという批判に対して)→「私は特定の民族を愛したことはない。私が愛しているのは家族や友人だけ)

ここで、ファシズムの悪とはどのようなものなのかという問題が提示されています。

  • 人は何故「政治的なもの」を失ってしまうのか
  • 何故「陳腐な悪」に陥ってしまうのか
  • 何故「考えなくなる」のか
  • 何故無批判に権威に従うのか
  • 何故「長いものには巻かれろ」と考えるのか

権威主義的パーソナリティー

テオドール・アドルノというドイツの哲学者・社会学者が権威主義的パーソナリティー(無批判に権威に従う社会的性格)の研究のなかで開発した「Fスケール」という、人間のファシズム的傾向を1~6までの数字で(高い程ファシズム度が高い)判定する尺度があります。

以下のサイトで測定できるので、自分がどれくらいの値が出るか予測してから、是非やってみて下さい。

アドルノF尺度

予測より高い値が出て、驚いた人が多かったんじゃないでしょうか。

では、何故このサイトで算出出来る値が高いと、人間はファシズムに走ってしまうのか。

次回に続きます。

  1. これは国際法に違反した誘拐であったため、アルゼンチンは「主権侵害だ」と強く非難し、大使を召還させたりした。私もアイヒマンが裁かれるべきだったとは思うが、このようなイスラエルのやり方は許されないとも思う。
  2. 実際、彼にはユダヤ人の友達もいたという。

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